【訃報】2011年3月10日,坂上二郎さん逝く。昭和の情景が一つまた消えた・・・

コント55号で国民的人気を集めたコメディアンで俳優の坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが10日、栃木県内の病院で脳梗塞のため死去した。76歳。平成15年に脳梗塞で倒れ、リハビリで一時は舞台に復帰したものの、昨年8月に自宅で再び倒れてからは身体が不自由となって療養生活を送っていたが、コント55号の結成45周年にあたる今年1月に萩本さんと出演予定だった明治座の舞台に最後まで意欲を示し、声による出演で、最後の“共演”を果たしていた。

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先日藤子不二雄Aさんの番組を見逃したので、夕方BShiで放送していた番組を観ていました。

それは藤子不二雄Aさんの番組ではなくて、藤子・F・不二雄さんのマンガ人生の内容でした。その番組中で、昭和天皇が亡くなった時同じく手塚治虫さんが亡くなっての葬儀の様子が撮されていました。坂上二郎さんが亡くなって、コント55号は本当に記憶に閉じられてしまった思いです。随分と番組出演はあったのでしょうけど、ビデオ時代のことでどれほどが現在保存されているのでしょう。

昭和の喜劇役者の記憶が随分と遠くに行ってしまっている現代。コント55号も忘れられていくのでしょう。萩本欽一さんが突然に話題を振って、それを即興でこなしていく”次郎さん”の姿。先ほどもと競泳選手で役者になって、来年の大河ドラマに出演されるというタレントさんが”分からないことがあったら今は”携帯”があって、携帯が欠かせない…そういう、自分で考えることをしなくなっていく時勢。

わたしは咄嗟のひらめきに、鼓の反応のように機転の効く”次郎”さんのような人が好きです。

「コント55号」で国民的人気を集めたコメディアンで俳優の坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが10日、栃木県内の病院で脳梗塞のため死去した。76歳。通夜・告別式は執り行わず、近親者のみで家族葬を行う。

平成15年に脳梗塞で倒れ、リハビリで一時は舞台に復帰したものの、昨年8月に自宅で再び倒れてからは療養生活を送っていた。

昭和9年、鹿児島県生まれ。歌手を目指し19歳で上京、歌手の付き人を経て漫才師になり、東京・浅草のストリップ劇場「フランス座」のコントで共演した萩本欽一さんと41年、「コント55号」を結成した。

松竹演芸場や有楽町の日劇で舞台狭しと駆け回る勢いのあるコントを披露、萩本さんの全身を使った突っ込みをきっちり受け止める「チッコイ目の二郎さん」として人気者に。テレビのバラエティー番組にも進出し、44年に始まった「コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!」などで活躍した。コントの中で始めた飛行機の手ぶり付きの「飛びます、飛びます」は、坂上さんの代名詞ともいうべきギャグとなった。

俳優としても味わいのある演技をみせ、TBS系「夜明けの刑事」、NHK大河ドラマ「翔(と)ぶが如(ごと)く」、映画「天城越え」など多くの作品に出演。二期会のオペレッタ公演「こうもり」に出演するなど歌手としても実績を残した。

昨年8月に自宅で倒れてからは身体が不自由となったが、コント55号の結成45周年にあたる今年1月に萩本さんと出演予定だった明治座の舞台に最後まで意欲を示し、声による出演で、最後の“共演”を果たしていた。